目次
竹刀の歴史
さて今回は、現代剣道において、競技用として刀に代わって使用されている竹刀(しない)について、その起源から詳しく数日かけて調べてみましたので、まとめて紹介したいと思います。
なんで「しない」と読むのか?
竹刀という漢字であれば、本来「ちくとう」と読むはずですが、今はこれを「しない」と読みます。
まぁ当て字ということですね。
確かに古くは「ちくとう」とも読みましたが、この場合もともとは稽古槍の事を指したそうです。
「しない」という読み方は、竹の特徴である「撓(しな)う」ことに由来するという説が有力です。
また「撓」と書いて「しない」と読む事もあります。

竹刀が発明される以前の剣術の稽古はどうやっていたの?
竹刀が発明される以前、剣術の稽古は刃引き(はびき)と言われる刃の部分を切れなくした模造刀みたいな刀か、木刀を使用していました。
もちろん形(かた)稽古です。
例えば、相手が面を打ってきたとき木刀の表で受けた場合、そこからこちらがすり上げ面を打ったとします。そのすり上げ面が来たところを相手が右にかわして左の逆胴を打ちます。こちらはその逆胴を、さらにすり上げ面を交わされたその木刀でそのまま左手を用いて受けるとほぼ同時に、すかさず左足を引いて相手の左から袈裟懸けに切落とす。
このように、双方が打ち合う流れの中で形を打っていく稽古法です。
この稽古は、打突部直前で止めるという約束事の上に成り立っていたのですが、無論止めきれず当たってしまうことも少なくないため怪我が絶えず、下手をすれば死ぬことさえあるという非常に危険な稽古でした。

だから竹刀の発明は非常に画期的なことだったのです。
江戸後期には竹刀が今の竹刀と変わらない四つ割りタイプに進化するのですが、同時に防具も発達し、そのおかげで剣道場に入門するものが激増しました。
竹刀と防具が発明されてなければ現代剣道もなく、明治維新における武士の世界の終りとともに、剣術の各流派がその関係者間で細々と「形(かた)」による伝承にて伝えられるのみだったかもしれません。
発明された時期と発明した人は?
竹刀を初めて考案したのは、兵法の達人であった上泉伊勢守秀綱(かみいずみ いせのかみ のぶつな)と言われています。
時代は戦国時代から安土桃山時代にかけての永正~天正の頃なので、防具が発明される江戸時代よりはるか前のこと。なんとおよそ500年前です!
その時は「袋撓(ふくろしない)」と呼ばれていて、形状も現代のものとは異なります。
※(「韜」という文字が使われることもあります。袋竹刀を指すことが明らかな場合は、これ1字で「ふくろしない」と読むようです。
形状は、丸竹に柄の部分をそのままにし、先をささら(16分割ぐらい)に細かく割り皮や布の袋で包んだものだったと言います。(以下参考写真)

以下は、「日本剣豪譚(幕末編)」の引用です。
当時稽古は木剣を持って師に形を学び、仕合(しあい)となれば木剣、または真剣で立ち合った。
これでは生死を賭けた果し合いのようなもので、じっさい仕合で命を落とす記録が少なくない。
![]()
伊勢守はこうした無益な死傷をなくそうとしたのだが、稽古法自体にも有用だった点は、後世の首唱者の意見に変わらない。
伊勢守一門はみな撓(シナイ)をたずさえて、廻国修行に出かけた。疋田豊五郎には「日記」というものが残っているが、丹後吉阪、美濃大垣、武蔵岩付、伊賀上野、大和松山で立ち合った相手もまた、撓をもって対したことがしるされている。
柳生一門では、革で包んだ部分が、ひきがえるの皮に似ているので、「ひきはだ」と呼んだ。
ただし、このころの撓は、いわゆる竹刀ではない。文字通り、しなう。長沼国郷や中西子武はそれを工夫、改良したのである。
「日本剣豪譚(幕末編)」戸部新十郎著 P13
今でも伊勢守の柳生新陰流や伝統の古流派では、「袋撓(ふくろしない)」(または、「ひきはだしない」と呼ぶ)で稽古が行われているようです。
<参考ウェブページ>
ちなみにこの「袋竹刀」に興味を持った方で欲しいという方は以下のサイトから購入できるようですよ。
今の竹刀に近い形になった時期
直心影流の創始者、山田光徳から第8代の長沼国郷(ながぬまくにさと)の時期(1688年・元禄元年~1767年・明和四年)にかけて、竹刀と防具を改良されたというのですが、今の竹刀のような四つ割りの竹刀は、江戸後期にて大石神影流を創始した大石進((1797~1863年)が考案したとする説があります。
江戸時代の剣客は今と違って竹刀を自作していたのですが、大石は袋竹刀や当時多かった八つ割りだと柔らかくしなりすぎるので、猛稽古して得た得意の突きを活かせるようある程度の固さ(強度)が得られる四つ割りにしたそうです。
以下はその頃の竹刀が映っている貴重な写真。
※高杉晋作(1839~1867)は、江戸時代後期の長州藩士。幕末に長州藩の尊王攘夷の志士として活躍した。
長さ(寸法)の変遷
竹刀の長さは、江戸時代以前は特に決まりがあったわけでもなく皆自分で作っていたので、その長さはまちまちでした。
江戸時代は、徳川幕府が定寸の日本刀とほぼ同じ最大長2尺4寸(約72センチ)と定めていたので、その長さが一般的だったようです。
しかし江戸時代後期に江戸にやってきた大石進が、自分の巨躯(2メートル12センチ)に合わせて作った5尺3寸(161cm)の長竹刀(鍔は、鍋のフタ並の大きさだった)を使い、各道場で連戦連勝したため、その影響もあって江戸では、試合を有利にしようと4尺(約120センチ)を超える竹刀を使用する者が多く現れ、長い竹刀がしばらく流行しました。
確かに突きに関しては遠間から届く利点がありますが、重くもなりますし身の丈の力量に合っていなければ勝負において有利になるわけではありません。
また短い方が軽く振るスピードも上がり、接近戦であれば効果的などいずれも一長一短あります。
当然、その頃の剣の達人たちはそういうことがわかっていましたが、このままだと剣術の発展のためにならないと考えたのでしょう。
長大化に歯止めをかけるべく講武所頭取並(いわば剣術指南役)の男谷信友(男谷精一郎)は、安政3年に「撓は柄共総長サ曲尺ニて三尺八寸より長きは不相成」とし、上限を3尺8寸までと定めました。
これについては、どのような理由で3尺8寸としたのか、昭和初期剣道界の第一人者、高野佐三郎の言葉を遺した著作に面白い理屈がのっていましたので補足しておきます。
竹刀の寸法を制定したに就いても面白い話があって、これは幕府の講武所で定めたのですが、それは極端に長い五尺の竹刀と、最も短い二尺六寸の竹刀とを合わせて七尺六寸、それを二つに割って三尺八寸とし、是を定寸としたものである。
「高野佐三郎 剣道遺稿集」編・著 堂本昭彦 P100
この3尺8寸の規定は明治以降の剣道に受け継がれました。ただし山岡鉄舟や中山博道など、自らの信念にもとづき、短い竹刀を使用する者もいました。
現在の全日本剣道連盟の公式試合用の竹刀には長さ、重さの規定では、基本的には以下のようになっています。
・小学校高学年用 36(3尺6寸、111cm 以下、370g以上)、
・中学生用 37(3尺7寸、114cm 以下、男性440g以上、女性400g以上)
・高校生用 38(3尺8寸、117cm 以下、男性480g以上、女性420g以上)、
・大学生/一般用 39(3尺9寸、120cm 以下、男性510g以上、女性440g以上)
※鍔は直径9cm以内
竹刀の威力に関する剣豪の逸話
稽古で怪我せぬようにと発明された竹刀ですが、その強度はばかになりません。
達人レベルの強者が使えば、板や缶でさえつきやぶったという逸話がたくさん残されているのでここにいくつか紹介したいと思います。
江戸時代後期において有名な巨漢の剣客、大石進と豊前中津藩の長沼無双右衛門の試合では、大石の長大な竹刀による突きが長沼の面金を破り、眼球が飛び出す重傷を負ったという。
ただし当時の面金は個人が自作していたため、現代の科学技術で作られた面金とは強度が異なる。(※現代の面金ではまず不可能)
江戸時代末期(幕末)の剣客、鏡新明智流の上田馬之助が薩摩へ武者修行に行ったとき、やはり修行にきていた日向(天自然流)の吉田某(なにがし)が、仕合を申し込んだ。
西郷隆盛、中村半次郎らも見物にきていた。いざ仕合というときになっても、吉田は素面、素籠手のうえ、胴もつけない。
そして、「わが流儀は、防具をつけない。お手前はお手前の流儀によって、防具をつけられよ。自分は体を鍛えてある。頭も腹も鉄のようになっているから、たとえお手前の竹刀が当たったところで、案ずることはない」とうそぶいた。
「されば、ご覧なされよ」
と馬之助はいい、木の幹に頑丈な竹胴を巻きつけ、気合いもろとも打ち込んだところ、胴の竹が折れ、ばらばらになってしまった。
さらに四分板をつるし、これを竹刀で突いた。
すると板に穴があき、竹刀の先はまったく痛まなかったという。
吉田某は、慌てて防具をつけたが、勝負の結果はいうまでもない。
明治時代の榊原鍵吉の道場は「薪割り剣術」、「面金が曲がる」とまでいわれるほど荒稽古で知られ、竹刀であっても強烈な打ち込みで気絶する者もいた。
それゆえ、榊原に入門した後に免許皆伝を受ける山田次朗吉は面の打ち込みに耐えるため、頭を柱に打ち付けて鍛錬し、前頭部が甲羅のように硬く盛り上がっていたという。
明治時代末期、神道無念流有信館の山本忠次郎が木に吊るした空き缶を竹刀で突く練習をしていたところ、ある老人が通りかかり、忠次郎の竹刀を借りたかと思うと一瞬の内に缶を突いてみせた。
缶をみて忠次郎は目をむいた。缶は揺れることなく貫通して見事な丸い穴が開いていたのである。
この老人こそ、新選組の四番、また三番隊の隊長を務めた斎藤一(さいとうはじめ)。
後日老人は「突き技は突く動作よりも引く動作、構えを素早く元になおす動作の方が大切」、「突きは初太刀でうまくいくことは少ない。私が成功したのはほとんど三の突きでした」などと語ったという。
近年の竹刀
構造について
構造について、剣道未経験の竹刀をあまりじっくり見たことがない方のためにWikipediaからの引用でご紹介します。
縦に8分割した竹片4本を合わせ、鹿の皮などで出来た部品で纏めて作る(これを四つ割り竹刀という)。剣先から柄までに一本の弦(つる)を張り、弦が張られた側を峰(棟)、その反対側を刃、左右を鎬に見立てる。
鍔は水牛革製、プラスチック製が多く(一部には猪皮製、鮫皮製、鼈甲製などもある)、穴があいた円盤状になっている。柄頭側から柄に通し、滑りにくいゴム等で出来ている鍔止めを同様に柄に通して固定する。近年では、鍔と鍔止めが一体になっている鍔も販売されている。
鍔は簡単に着脱できるため、鍔と本体を分離して竹刀袋に入れて持ち運ぶ事が出来る。簡単に着脱出来てしまうため、稽古中に鍔が外れてしまうこともある。
使用されている竹
竹の元々の原産地は中国と言われています。
その種類はなんと600以上あるともいわれていますが、日本にある主な竹の種類は、真竹(まだけ)、孟宗竹(もうそうちく)で、北海道及び本州北端部をのぞく日本全国に自生しています。
最も竹刀に適する素材として使われていたのは、日本産の真竹で、昭和40年代くらいから国内の竹が非常に少なくなり、材料の確保が難しくなってしまいました。
そのため、現在一般に売られている竹の多くは台湾製になっています。
その台湾に桂竹(けいちく)という種類の竹があるのですが、これが竹の繊維の密度が真竹と似ている材質のため、真竹よりささくれ易くはなりますが、生産本数が多いので安価になり、最も人気のある竹刀の素材として使われています。
真竹は、繊維の密度、柔軟性、色、つやなどが最も優れている素材であり、竹肉の裏側まで繊維が硬くなっているので、割れやささくれが少ない性質を持っています。
しかし先述の通り今ではとれる数が少ないので、高価な竹刀に多く使用されるようになりました。
竹刀の進化
■カーボン竹刀
竹刀は破損しやすく、破片が目に入ったり、割れた竹刀が身体に刺さったりといった事故が起きる可能性があるためカーボン竹刀が開発されました。

すでに数十年前から販売されているのですが、これが未だにあまり普及していません。
主な理由は、数千円の竹刀に比べて、1本2万円前後と高価な点が大きいとは思うのですが、普通の竹刀は竹の部分が激しい稽古によって破損しやすく、皮の部分も同様のため定期的に買い換えないといけないので、年間を通したらコストパフォーマンスはカーボン竹刀の方が良いはずです。
カーボン竹刀は数年使用してもカーボン部分はほとんど壊れないそうですから。
「教えて!goo」にあったコメントには、なんと20年以上使用したけど全く破損しなかったと、45歳の4段を持つカーボン竹刀愛用者の方が申しておりました。
また普通の竹刀は竹の部分がささくれたら削ったり、割れてしまったらその竹の一本ずつを割れてない竹に入れ替えたり、接合部分に竹と竹の間の滑りを良くして割れにくくするため、ロウや竹刀油を塗ったりとメンテナンスに手間がかかります。
そこでなぜ普及しないのか、ネット上でさらに調べてみたところ、
・高段者の先生方には人気がない。
・審判の先生から、「普通の竹刀に比べ、打突した時の音がこもっており、旗が上げにくい」と言われた。
・普通の竹刀に比べ、重く感じる。打突の際、良い音がしない。
・打突の感触が竹の竹刀と違うためなじめない
といった点が見受けられました。
カーボン竹刀に慣れている人は、別に重くも感じないし音も気にならないという人もいますが、やはり長いこと竹製の普通の竹刀を使った人にとっては違和感を感じるのでしょう。
慣れてしまえば、こと練習に関しては審判の旗も気にしなくて良いのでいいことづくめのはずなのですが。
そこで「安全性」「コストパフォーマンス」「試合への影響」という観点から考えて、練習ではカーボン竹刀を、試合では竹製の竹刀を使用することをお勧めします。
特に連日の激しい稽古で竹刀がしょっちゅう壊れ、メンテナンスにうんざりしているめんどくさがりの人には、この選択肢が一番良いと思います。
中学生、高校生は、毎月のように「竹刀買うから金くれ」と言っては親御さんにぶーぶー言われている人も多いでしょう。
といっても今更2万円くれとは言えないと思いますので、そこで一案!
ヤフオクを見ると時々5000円ぐらいで出回っているので、それを狙ってみてはいかがでしょうか?
■バイオ竹刀
カーボン竹刀があまり普及せず一般的に不評だったため、今では竹の感触を残し、耐久性・安全性を向上させることを目的として「バイオ竹刀」が考案され、販売されています。
これは、竹の表面にバイオテクノロジーの技術を用いた特殊な素材をコーティングしたものです。
■参考商品
上記製品を例とすれば竹の部分だけですが、税別で3,200円(特別価格)と以前の竹刀の二倍程度のお値段とカーボン竹刀よりははるかに安価になっています。
これの耐久性が以前の竹刀の二倍以上、メンテナンスの手間も半減ということであれば、コスト的にこちらを選ぶ人が圧倒的に増えたと思いますが、あくまで元は天然素材のため、数回で割れてしまうなど当たり外れがあり、今でも安価な旧来の竹刀を選ぶ人は少なくないようです。
一応お店によっては1~3回程度の稽古で割れた場合交換してくれるそうですが、カーボン竹刀に比べたら心もとないですね。
また冬場の乾燥期では、旧来の竹刀との差異はあまり感じられないという意見も聞きます。
他に、耐久性を伸ばす方法として、バイオ竹刀は竹のエッジが鋭角なのが特徴ですが、これを竹一本づつ紙やすりで粗め、中目、細目と手間をかけて角度を丸くなるように緩めるとかなり寿命が伸びるそうです。
総括
いかがだったでしょうか?
竹刀の歴史から現代に至る進化まで取りまとめてみました。
竹刀は「武士の魂」と言われる刀の代わり。
そういう意味では、「剣士の魂」ともいえるので、足で無造作にまたいだりしたら先生からひどく怒られたりした経験が剣道を始めた頃、一度はあったと思います。
もちろん無造作に踏んだり、投げたり、地面をたたいたりしてもダメで、常に手入れをして大切に扱えと教わりましたが、皆さん、今でもそうやってちゃんと大切に扱ってあげていますでしょうか?
剣道に限らず、自分が扱う道具を大切に扱わない人は痛いところで道具に仕返しされます。
今の私であればパソコンを大事に扱わなければ急に壊れて、このサイトの更新ができなくなったり、仕事そのものができなくなってしまうとかですかね(^_^ ;)
そして1流の人は皆、道具を大切に扱います。
ハイレベルな試合になるほど、一つのミスも許されません。
つまり、竹刀の状態が勝敗を分けることだってあるわけです。
今一度、この機会に自分が愛用している竹刀が、果たしてベストな状態を維持しているか思い出して、傷んでいるところがあれば補修してあげましょう!