剣道をオリンピック競技にするべきか否か

剣道オリンピック競技化

なぜ、オリンピック競技になっていない?

管理人も若い頃は剣道がオリンピック種目になっていないことを残念に、かつ疑問に思っていた。

スポーツではなく、「武道」だから?

でも武道として代表格の一つ、柔道があるではないかと・・・。

中学生の時、柔道選手がオリンピックで脚光を浴びているのをテレビで目にして、

「なんでだ? 剣道の方がかっこいいし、全然部員数も多いし、学校内でもどちらかと言えば人気は上じゃないか。」

などと思ったもの。(柔道家の方スミマセン・・・)

まぁ日本では柔道よりも剣道の方が競技人口は多いが、世界では全然逆なので当然なのだがその頃は知りませなんだ。

最近は、空手が2020年開催予定の東京オリンピック正式種目になったのを機に、この疑問が紛糾しているらしい。

「剣道はなぜ五輪種目にないの?」で議論紛糾

世界大会でも海外の剣道人口とその熱は上がる一方だと聞くし、世界大会でせっかく日本チームが宗主国としてのプレッシャーもはねのけ見事優勝して帰ってきても、空港で出迎えてくれるのは一部の関係者のみというさびしさ・・。
(テレビ番組を見て初めて知ったこの事実・・)

うぉー、マジかー!と思ったものだ。

実際、あまりニュースとして目立って取り上げられることもないため、すでに開催数16回の内、15回とほとんど優勝しているという事実も一般には知られていない。

そんな状況を思えば、やっぱりオリンピック競技にするべきじゃないかー!という声が若い世代から聞こえてきそうだが、このサイトも世界の剣道人口の増加、発展に貢献することが目的の一つとなっているので、

わかるっ!

ひじょーにわかるのだがっ!!

しかし。

しかしである。

ここ数年のオリンピックで、柔道の試合におけるおそまつな審判によるひどい誤審やある国の選手たちの礼儀や敬意のなさなどを見るに至って、管理人は反対派になり申した・・・。

そして、その想いは、ネットでいろいろな方のコメントを見るにつけ、実は大多数の剣道経験者、ひいては剣道連盟においても同様だったように感じた。

オリンピック競技にならない理由が大人になってわかった

とここで、「論より証拠」「百聞は一見にしかず」。柔道オリンピックのリアルな問題映像を以下の動画をご紹介。
 
▼篠原信一誤審のせいで銀メダルに泣く動画 「世紀の誤審」

 

▼海老沼あぶなく誤審負けする動画

 

柔道の金メダリスト、吉田秀彦選手いわく、なんと柔道オリンピックの審判は、柔道未経験でもペーパーテストで合格するとなれるとのこと。

なんじゃそりゃーーー!!(この衝撃の事実! 汗;)

だから有り得ない誤審が頻発。

そのため、さすがにやっとビデオ判定が導入されたそうだが、そのおかげで救われたシーンが動画二本目の海老沼選手の試合にもモロ現れている。

もっと早くビデオ判定が導入されていれば篠原選手は金メダリストだったのに・・。

言うまでも剣道なんて高速の0コンマの世界で1本技が決まるかどうかという世界なので未経験で審判は絶対無理!

ビデオ判定が導入されても、剣道は打突部位に強く当てれば1本なんてことではないので参考程度にしかならない!

全ては審判員が、剣道の修練の中で培った感覚、知識、知恵といった全人格的判断によるのである。(現在審判員の資格取得条件は、段位は三段以上。それも週二日の稽古を維持しているものに限る)

 

つまり剣道がオリンピック化競技となった時、一番大きな心配な点は、勝敗を決する1本が、目の前で見ていても一般の人に非常にわかりずらいこと。

オリンピックではその判定を不服としてヒステリー状態となって批判がやまない国もあるので、これは判定が難しい剣道ともなると毎回大変なことになることは必然・・・。

また他国の審判の誤審により日本チームが優勝を逃したり、篠原のような誤審による犠牲者が何人も出てくるだろう。

逆に公正な判定による勝利なのに、いちゃもんつけられたりすることも多々起きるであろうことは現状を見るに、想像にかたくない。

そのためオリンピック競技になって国際ルールが制定される時、果たして剣道の基本精神が守られるルールになるのかどうか非常に心配。

だって剣道なんてやったことのなく感覚も違うオリンピック委員会の海外の人たちがルール制定に関わってくるんですよ? 絶対、何それ?みたいに思うルール改正が1つや2つあるでしょう。ないとは思いますが万一柔道みたいに未経験で審判になれるようになったらどないします?

 

精神性の低下と金銭問題

また剣道は、勝った後ガッツポーズをすると1本が取り下げられるルールがあることは知ってると思う。

え、そうなの?と思った人は以下のページの一番下へ。
>>注目の動画紹介(1)

それは相手に対する敬意を欠く行為とみなされるため。

先の柔道における動画を見てどう感じただろうか?

1本取って勝った後、思いっきり両のこぶしを天高く振り上げて全身で喜びを表現する海外の人の姿を見ると、そのルールについて理解を求めるのは難しいのではないかと思う。

オリンピック競技となればこのルールは消え去るのではないだろうか。

試合が終わった後、袴、防具をつけたまま飛び上がって喜ぶ姿が美しいと思うだろうか?

それもその勝利が、誤審だった場合など特に・・・。

「勝てばいい」という勝利至上主義になって、礼節を重んじないという状況におちいれば、武道としての本質は失われ、もはや今の剣道家が信じている「剣道」ではなくなるのは必至。

実際、残念なことに近年の世界大会でも明らかに審判の判定を不服とした態度を見せたり、試合後に礼をしない団体もすでにいるのだ。

「勝てばいい」という勝利至上主義を後押しする原因は、とにかく勝てば国民から最大に賞賛されるという名誉だけの問題ではない。

金銭的問題もからむ。

メダリスト、そして有名な人気選手となれば当然CM出演によりべらぼうに金が入ってくる。

そして極め付けは選手のタレント化だ。

本人を取り巻く環境もきな臭くなってくる。

プロスポーツがある野球やサッカーといったスポーツはもうそれなりの歴史を刻んでいているので、ゆがみは正されてきてはいるが、これまでも野球賭博やら、海外ではサッカーワールドカップ出場の背景でうごめく委員会への闇献金やらと、まぁ枚挙に暇はなく、今現在も本当に公正な運営が行われているのか疑わしいことは度々ニュースに上がる点については説明するまでもないだろう。

これが選手たちの人格や行動に影響を与えないわけがない。

最近では、どうやら嘘みたいでホッとしてますが、
「女子レスリング・吉田沙保里選手が、「個別取材にはギャラ3万円」という要求を始めた」
なんて記事が話題になっていたりと、尊敬し、好印象を抱いていた選手イメージが崩れ去るなんてことも・・。

そりゃ確かに、天才、怪物選手と言える今の全国トップの選手たちが社会に出て、道場でも開かない限り、直接的にその腕前だけで食っていける術はなく、その将来がせいぜい警察、警備員、ボディガードといった職種について、優遇される程度ってどうなの?という思いはある。

具体的に名前を例に出せば、九州学院四連覇の推進力二大巨頭と言われる梶谷選手や星子選手、さらにはここ数年、剣道界で若手現役ならその活躍を知らぬ者はいない現在、中央大に所属する梅ヶ谷選手、学生で全日本を制した竹ノ内佑也選手などである。

剣道にサッカーや野球のようなメジャーリーグがあれば何億という金で引っ張られてもおかしくない才能、実力だ。

それが一般の企業へ入社希望の場合は、履歴書の趣味・特技欄に「インターハイ優勝(または○位)」と書いて、面接官に「すごいね!」と言われ多少合格へのプラス要素になる程度の価値しか持たないのは同じ剣道をやっていた身からすると口惜しい気もする。

もちろん剣道を純粋に修行してきた彼らは、優れた指導者や支えてくれる家族、友達、仲間といった周囲の人間のおかげで、今の自分がある事もわかっていると思うので、第三者がそんなこと気にすることではないのかもしれないが・・。

 

大事なのは結果ではない。過程なのだ

若い人は現代剣道なんてもはやスポーツじゃん、素直にスポーツにしてしまえば良いとあっさり言うかもしれないが、それは違うと思う。

それは今の剣道の成立、発展に尽力した日本における長い武人たちの歴史と先人の苦労を冒涜することにならないだろうか。

「武道」だからこそ、今の剣道があり、魅力があるのだ。

「世界戦」についてのテレビ番組を見ていたら、外国人でありながら現在剣道をされていて剣道を愛する人たちの方がむしろそれは分かっているなぁと感じた世界選手権にのぞむ選手の口から出た言葉がこれ。

「世界の剣士にとって、日本武道館は憧れであり、神聖な地なんです!」

過去多くの人が血と汗を流して長い年月の中作り上げてきた歴史の深さに敬愛の心を感じているからこそ「神聖な」という言葉が出てきたのだと思う。

このサイトは「エンタメ剣道!」なんて一見お遊び風のサイト名になっているが、実は根本精神はナチュラルな硬派である(笑)。

その運営においてできるだけ老若男女が不快なく楽しめるニュートラルなバランスはもちたいと考えているが、根本の土台がゆるくては、何も立ち行かない。

そこは剣道の基本精神にがっつりのっとって運営したい。

このサイトではあくまで武道である。というスタンス。

スポーツの方が下ということではない。

 

では、武道とスポーツの違いは何か?

スポーツは、勝敗や記録の更新という「結果」に重きを置くが、武道はその結果に至る「過程」に重きを置く。

剣道の目的は、端的に言えば、剣道を通して「人間形成の道」を歩み、自己の修養に努め、社会に貢献できる人間になること。

勝負に勝つことがすべてではない

スポーツも健全な人間形成の効用を謳っているし、指導者もそれを目的として信念にしている立派な人もいるが、実際はほとんどの人が、勝ち負けという結果を楽しみに始め、勝つために練習していると思う。

そして周囲(社会)も勝利という結果を期待し、最大評価する。

スポーツも「過程」に重きを置く様になるのは、社会人になって完全に休日、休暇に「趣味」「遊び」としてやる時だけだ。

 

確かに普通は剣道や柔道も別に武道だからとか意識して始めることはなく、始めはスポーツと同じように考えていると思う。

しかし剣道を始めるとじょじょに試合に勝ちたいというだけではなく、心身ともに「強くなりたい」という漠然とした想いが大きくなる。

また先生や先輩から礼儀についてもきびしく教えられ、稽古の中で切磋琢磨していく時、試合だけじゃない、稽古自体に充実感や意味を感じるようになる。

それはどういう事か選手側の気持ちにおいてわかりやすく言うと、スポーツの練習は、試合に勝つための練習で、目標としていた試合の成績(県内ベスト4とか県で個人優勝とか)が達成できず、負ければそれらがすべて無駄になったような気がした覚えはないだろうか?

部活としての楽しさは思い出にはなるだろうが、練習自体について無駄ではなかった(おかげで心身ともに鍛えられた)と本当に思えるのは大人になってからではないだろうか。

そう感じるのも社会人になって、中学、高校時代の運動部に所属していた人たちに「何部だったの?」と聞くと返ってくる言葉の多くが、

「テニス部だった。インターハイに行けなかったけどね・・・」
「バスケ部だった。もうちょっとで関東大会に出れたんだがなぁ・・・」
「卓球部だった。県大会でベスト4どまりだったけど・・・」

といった悔恨の言葉。戦績を言う時点でちょっと自慢も入っているのかもしれないが、胸をはって自慢する人の方が非常に少ない。
最初のコメントなんて「インターハイに行けなかった・・」と言っている時点で、インターハイを狙える選手だったわけで、関東大会には出れたってことだから十分すごい選手であり、もっと誇っていいはずである。

なのにこういった言葉がまず最初に来るということは、人に自慢できるような勝利の結果がないと人は評価してくれないと経験上思っているということだ。

 

剣道はちょっと違う。

稽古自体が大きく意味を持っていて、試合はその培った実力を試すお披露目会みたいなもの。

もちろん学校の剣道部でも試合の勝利に向けて稽古をするのだが、昨日よりも今日、技が上達したのを感じたり、今日はきつい稽古でもへこたれなかったといった自己の向上における意義と喜びを無意識に感じているように思う。

もちろん陸上など個人競技はそんな感じかもしれないが、それでも「記録」という客観的評価を常に見据えてやっているでしょ?

そこが違う。

剣道はどこまでも自己の練磨。

剣道の世界が奥深いのは、剣道にのめりこんで練習すればするほど、だんだん勝ち負けじゃない人として大切な「何か」に気づくようになってくる点。

だから本当に強い人ほど、接した時、びっくりするほど「謙虚」であり「素直」で、その精神はクリアなのだ。

自分の強さを誇示し、いばっているような選手はたいした選手ではない。せいぜい全国大会に優勝したところで翌年には早々に敗れ去るだろう。

なぜか? おごりがある人間は油断があるから負けるのだ。

四連覇した九州学院の指導者、米田敏郎先生は雑誌「剣道人」Vol.5(2016年10月8日発行)の記事にあったのだが、生徒にこう指導しているそうだ。

「剣道だけしていれば強くなれるわけじゃない。日頃の生活が大事だ。

「剣道人」Vol.5 P19

スポーツで、こんなことを言う指導者はそうそういないと思う。

この言葉を受けた九州学院の主将、梶谷選手はこう答えている。

「中学時代は、授業中寝てしまったりだとか、勉強しているかと言われれば自信はなかったですけど、今は剣道も勉強も両立できていると思います。日頃の生活に気をつけることで、試合の苦しい場面で集中力が切れなくなったり、精神的な部分でプラスになることが多くあります。

「剣道人」Vol.5 P19

高校生でもしっかりわかっているのだ。

いかに過程が大事なのかを。

勝ち負けよりもどういう人間になるべきか?ということの方が大切なことを。

また同じく九州学院のOBで現役全日本王者の西村英久選手の九州学院高校の魅力についてこのようにコメントしていた。

「剣道の勝ち負けよりも、人間として成長できるということがすごく魅力的な場所ですよね。九学で考える能力を身につければ、すべての物事において違う目線で考えられるようになります。目のつけどころが変わってくる。「お前は偉いな」ってまわりの人が言ってくれるようなことをやれる人間になれるんです。

「剣道人」Vol.5 P28

いずれも日々の稽古という「過程」がいかに重要か、その中で培われるものの重要性についてしっかり認識していることが伺える。

だから、剣道を10代の若い頃とことんやった人間は、社会人になった時、部活は何をやっていたの?と聞かれた時、胸をはり、誇りを持ってただこう答える。

剣道をやってました!

 

結論

もし今よりもっとわかりやすいゲーム性に寄ったスポーツにしなければオリンピック種目にできないのであれば、このまましない方がいいと思う。

あくまでスポーツにしたいのであれば、サッカーがミニマム化されたフットサルみたいなものにしてしまってはどうだろうか?

よりスポーツ的なスピードと技重視の競技にしてしまえばいいのだ。

竹刀は割れて事故が起きないようカーボン製竹刀を必須にして、防具の素材ももっと安価だがハイテク素材でシンプルなものにし、普及しやすいようにする。

打突も有効部位にセンサーをつけて、ある程度の力で当たれば自動で機械の旗があがるとかライトがつくとかにしてしまえばいい。

つまり、フェンシングの電気審判機みたいなもので、人間の審判は試合進行についてを見るような補佐的役割にする。

そして、武道でなくなるのだから剣道という名前から「道」を取ってしまって、例えば第二次大戦後日本国内で剣道が復活した際に、興行として開催された「撃剣(GEKIKEN)」とかに名前を変えてスポーツとして進化した異なる競技にいっそしてしてしまえばすっきりする。

これなら審判の判定にいちいち不服を唱える人も減り、剣道家が気を病むこともなく、安全性と普及に割り切って取り組めるというもの。

例えこの「撃剣(GEKIKEN)」が人気が出たとしても日本の現代剣道は生き続けるだろう。

なぜなら薄っぺらいから。

高齢の達人なんていない世界なので、「撃剣(GEKIKEN)」のトップに立った人はその後、必ず剣道家の門をたたくことになると思う。

 

とまぁここまで散々ネガティブな論理展開をしてきた上、最後は管理人の構想ならぬ妄想になってしまったが、このまま世界で剣道人口が順調に増えていけば、オリンピックへの参加は止めようがないとは思う。

その時は、今の剣道のままでオリンピック競技になるとしたら最低でも以下の二点については現状ルール通りで変更されないことを切に願う。

・審判員の資格取得は他国籍の方でも三段以上
・礼儀を失する行為は厳しいペナルティを課すこと

まぁ今の慎重な全日本剣道連盟の姿勢をみる限り心配ないとは思うが・・。

 

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