この思い込みは危険です
自分のことをいい人だと思っている人は要注意です。
これはどういうことか説明しましょう。
たいていの人は、自分のことをいい人だと思っています。
私も思ってました。
30歳ぐらいまで。
ちょっと私の経験談におつきあいください。
私の少年から青年時代まで
子供の頃から、誰とでも仲良くしていて友達もたくさんいました。
喧嘩もほとんどしたことありませんし、子供時代でも人をいじめたりしませんでした。
むしろいじめっ子とは距離をとるか敵対したりしたぐらいで。
ハブにされている子にはときどきやさしく声をかけたり励ましたりしてましたし、皆が仲良くやれるよう自然と会話をつないだりもしていました。
(昨年の夏、中学生時代の同窓会的飲み会で35年ぶりにあった友人たちからの私の評価はとってもいい奴だったそうで、すごくあの時のことは感謝してるよと言ってもらえ、へぇー、私も昔は本当にいい奴だったんだな・・と思いましたww)
学級委員もよくやりましたね。
究極的にはそれが大学時代に実を結びます。
東大、早稲田、慶応、日大、東京女子大、跡見女子短大等、関東の大学24校のダンスサークルが参加している関東ダンス連盟の第一回合同公演の演出、構成、振り付けを担当したのですが、その時は200人以上にも及ぶ出演者たちの心をつなぎにつないで大成功へと導きました。千秋楽はまさに感動なラストを迎え、まさに自分にとって嘘みたいなドラマみたいな夢が実現した良い思い出です。
(今じゃその団体の公演は毎年連綿と続き、多数のプロダンサーを輩出する団体へと成長しています)
その時もコアな中心メンバーが20人ぐらいいたのですが男女問わず皆に好かれてました。
とにかく誰とでも分け隔てなくいつもにこにこして話してましたから。
社会人時代
しかし前回も書きましたが社会人になるとそんな人間ではいられなくなるんですね。
仕事ともなれば怠ける人や嫌な作業から逃げる人、約束を守らない人には強く注意したり、時には叱らないといけないわけですから。
特に私は2000年から2005年頃はハードワークで有名なウェブ業界でもウェブディレクター(ウェブサイトを作る監督)という立場で働いていました。
超大手企業のウェブサイト構築プロジェクトのリーダーだったりしましたから、時にはきびしく人に接しなければなりませんでした。
しかし怒られたり、注意されたりする側も、自分が悪いと全く思っていないこともよくあります。
そういう人からすれば、私はいい人どころか、ただのうざい奴、うるさい嫌な奴なわけです。
どんなにできるだけ丁寧に言葉を選んでも・・です。
どんなに自分は正しいと思っていても世の中は倫理で動いてはいません。
なので私も33歳の頃気づきました(普通より相当気づくのが遅いと思います。それだけ人間関係に恵まれた人生だったんでしょうね)
あぁ、そうか。誰にとっても「いい人」なんて有り得ないんだと。
またそんな誰にでもいい顔をする人は、社会では絶対信用されないんだと。
いい人かどうかより信用できる人どうか
例えば、警察官が人を殺したヤクザを捕まえずに仲良く笑顔で友達になっていたら、誰だっておかしいと思いますよね?
絶対信用できないですよね。
誰にだってその人が持っている社会的立場ってものがある、責任があるってこと。
そして誰にだって心の中に正義がある。
究極的な争いとして、戦争はどっちも正義だと思って戦っているということ。
ですので、30半ばにもなって自分を「オレいい奴だから(笑)」なんて口にする人はやばいです。
相当やばい。
私は冗談でもそういうことを口にして、本当にそう思っている節のある人を信用しません。
なぜなら何かすごく間違ったことをする偽善者になる可能性が高いからです。
本当に本気で言っているとしたらその人はかなりやばいですよ。
大人として、知的レベルが低いと言わざるを得ません。
またやたらといい人アピールしたり、俺を信用しろよなどという人は詐欺師(騙そうとしてる)と思ってた方がいいでしょう。
本当にいい人は自分のことをいい人だなんて言いませんし、自分がそんなにいい人ではないことをわかっています。
また聖人君子になることはまず無理だといい大人になればたいていの人が気づいています。
あなたは例えば仕事で自分がすごい迷惑をかけられたのに、何も言わず笑顔で許すことができますか?
例えば、相手の失敗のしりぬぐいとして、朝まで自分が徹夜仕事するはめになった時とか。
難しいですよね?
もし35歳を過ぎても全ての人を許せて笑顔でいられるとしたら、その人はブッダかもしれません(笑)
インドでブッダと言われる人は、60億人に一人生まれるか生まれないかぐらいの存在なのだそうです。
残念ながら私はそういう人に会ったことがありません。
「謙虚」な人になろう
「謙虚」な人はいいです。
私の高校剣道部の時代、剣道場には大きく「謙虚」と書かれた大きな横断幕が飾ってありました。
顧問の先生の指導方針だったんです。
偉大な文豪、トルストイも言っています。
謙虚な人は誰からも好かれる。それなのにどうして謙虚な人になろうとしないのだろうか。
と。
ただ、謙虚というより、あまり自分を卑下する自己評価が低い人も問題ですが。
自己評価が低いということは自分に自信がないということ。
前回までにお伝えしたように自分に自信がない人は絶対にモテないからです。
自分をいい人だと思っているのがなぜ悪いのか
なんでここまでいい人について注意しましょうと語ってきたかと言いますと・・・。
自分は本当にいい人と思っている人にはおごりがあるからです。
自分は本当に好きな人のためを思っている。
なのになんでわからないんだ・・・。
オレがこれだけいろいろしてあげているのに、なんでわかってくれないんだ。
などなど。
自分はいい人なんだからと自分をなにかと正当化するわけです。
つまり全然好きになってもらう努力が足りなかったりすることが多々あります。
自分に「甘え」があるってことです。
結局は人からみたら、自分がいい人かどうかなんて幼馴染みたいに相当長く付き合ったりしない限り絶対わかりっこないんですよ。
それも大人社会では、利害関係や立場でいくらいい人に見られたくても無理な立場に追いやられることもよくありますから、よく見せようとばかり考えるとどんどん苦しくなるだけです。
いい人になろうと常に自分を律し、努力することは良いと思います。
それであれば出発点はいつも「いい人でない自分」「いい人を言われるには足りない自分」だからです。
そこにおごりはない。
成長しようとする前向きな努力と行動だけが存在するから。
またたまにすごく立派な人もいます。
でもそういう人こそ、自分はたいして立派でも何でもないと思ってきびしく自己を律しているものです。
あなたも好きな人ができた時、自分を「いい人」に見られようと変な努力をしないようにしてください。
たいていは裏目にでますから。
「うわー、”いい人”に見られたいのね、この人、人間が小さい!」
なんて見抜かれて自分を返って下げることになることがほとんどなので注意してください(笑)
ではまた。
チャオ!