さて、今回は昨年の12月19日に尿検査でお茶混入で不起訴処分という謎の釈放劇となった歌手のASKAが、リオ五輪の最中、ブログで熱く語ったという「剣道のオリンピック化」について触れたい。
上記の東スポの記事によると、ASKAは剣道三段の腕前で、自衛官で剣道の師範でもある父親に教わり、幼少期から高校時代まで続けたとあります。
中学から高校2年まで過ごした北海道では地元の大会で最優秀選手に選ばれているというからには、実はかなり強かったんですね。
歌手デビュー後も道場に通い、剣道を通じて警察官との付き合いも多かった上に、剣道の醍醐味について「礼にはじまって礼に終わる」と述べているぐらいなのに、薬物に手を出してしまったのは残念でなりません。
まぁずっと大ヒットメーカーだったのに、売れる曲が生み出せなくなってきた焦燥感やプレッシャーは相当なものだったでしょうから、気持ちは理解できますが・・。
彼は「剣道をオリンピック種目に!」と提言し、全日本剣道連盟に意識改革を求めたそうですが、2014年に覚醒剤取締法違反罪で有罪判決を受けてなければ、オリンピック種目になる気運を盛り上げるキーマンになったかもしれませんね。
確かに彼が言うように剣道がオリンピック種目になれば金メダルも取れるでしょうし、メジャーな競技にもなるでしょう。
でも私は毎年行われる世界戦で見られる例えば韓国の試合における大げさなアピール、審判への抗議といった見苦しい振る舞いをわざわざオリンピックで見たくはありません。
全日本剣道連盟に同調するわけじゃないですが、とにかく勝てばいいといった傾向が蔓延し、剣道における高い精神性が堕するぐらいなら、メジャー化する必要などなしだと思います。
人間、大人になるつれ、メジャーになることが必ずしも「発展」しているということではないということがわかってきます。
例えとしての話ですが、今人工知能、いわゆるAIの開発がグーグルを始め急速に進んでいますが、産業のあらゆる分野にAIが導入されることで、多くの人が職を失うと言われてます。
それって単純に発展と称して諸手を上げて称賛すべきことなのでしょうか?
発展と称する影に常に多くの不幸になる人が生じます。
産業革命時もそうです。
産業革命時には重労働及び長時間労働でたくさんの人が死んでますし、自然も破壊され荒廃しました。
人工知能の件については、あの20世紀の最高の頭脳の一人と言われているホーキング博士も人工知能がいつか人類を滅ぼす可能性は非常に高いと警鐘をならしていますが、もしそれが現実になれば自分を滅ぼすものを一生懸命開発した人間ってほんとに馬鹿な生き物だな・・ということになります。
まぁ人間の好奇心は止められないので、AI開発を止めることは無理でしょうし、これはあくまで一つの物事の見方を例としてあげたまでなので、それについてはひとまず置いておいておきましょう。(別にAI開発を嫌っているわけでも反対しているわけではありません)
ただ言いたいのはいい大人になって気づいたのは、「変わらないこと」にも価値があるってことです。
そういうとちょっと語弊があるので言い換えると、要するに「大事なモノや考え方の価値観をずっと変わらず守る」ということも大切なんだということ。
イタリアの首都ローマなど紀元前のローマ帝国時代、つまり2000年前からの建造物が沢山見られますが、これは過去の歴史を大事にしてきたからでしょう。
現地に住む彼らは、古い食器なども磨いて大事に使っていると聞きます。
資本主義の悪い面に毒されているともいえる現代人は、スクラッチ&ビルドによる状況の一新やイノベーションを起こすことを至上価値のように考えている節がありますが、決して新しいものが全て最高なわけではありません。
過去の人たちが築いてきたものや発見してきた英知に現代人がかなわないことが多々あるわけです。
日本の天皇家だって1500年から2000年と言われるぐらいの長きに渡って、日本人のリーダー、トップとしてずっと存在し続けたからこそ、世界的にも敬意をはらわれ、イギリスの王室も日本の天皇家には大きな尊敬とシンパシーをもって遇していると聞きます。
他にも武術や職人の世界に技術を伝えるのになぜ「一子相伝」という掟とも呼ばれる固い約束事が存在したのか考えてみると良いでしょう。
空手で言えば、源流となった空手をわざわざ習いたいと沖縄まで世界中の人が毎年集まるそうです。
だからと言って別に「剣道習いたいなら日本に来いや!」
と言いたいわけではなく(笑)、
このケースのように世界中の空手愛好者を惹きつけるその魅力は、歳を経るごとに衰えるどころか増していく、その発祥から連綿と受け継がれてきた変わらぬ深い精神性とその精神から高次元の技へとつながるあくなき探究にあるのではないかということです。
その精神性についてですが、例えば空手は、「空手に先手なし」という言葉があります。しかしその言葉の深い意味を心身ともに理解するには、長い鍛錬の時間が必要だと思うのです。
若いうちは「何のこっちゃ・・?こっちから攻撃しなきゃ勝てない時もあるじゃないか。そんなのどうせ建前だろ。」と思ってしまったりする心が払しょくできないでしょう。
また空手の世界大会で、かつて1995と1999年の二回準優勝、全日本選手権では三連覇もしていた数見肇というものすごく強い選手がいたのですが、まだその現役キャリア全盛期の頃、はるか年輩の沖縄空手の師匠に、「よくわからないが現実に全日本で勝ってる自分がなぜか勝てない・・、こちらの打ちが当たらず、逆に打たれてしまう。だから指導を受けに行くんです。」と語っていたのをかなり以前にある本で読んだことがあります。
剣道の世界にもそういう人が実在します。
実際、2009年8月に行われた 世界剣道選手権大会でキャプテンを務め、個人優勝、団体優勝をおさめた寺本将司選手が、世界戦に挑む前に警察道場で高段者の先生方に稽古をつけてもらう際、そういう方に指導を仰ぎにいくと語っていました。
私は前回の記事で、オリンピック化に反対派と書いたのですが、正確にいえば慎重派です。
剣道がオリンピック競技になってもっとメジャー化するのはいいのですが、彼の言う「礼にはじまって礼に終わる」その精神性がしっかり世界的に浸透した上でならということになります。
日本の先人たちが連綿を築いてきた剣道のあるべき姿をしっかり次世代に継承してこそ、広めるべき価値があるものだと思うのです。
だから全日本剣道連盟の方たちは、そのためにも世界で指導する人たちや審判員の人たちに対して、講習会をもっと増やすなど指導力をしっかり効かせて「剣道の本来あるべき姿」が浸透できるよう牽引していってほしいですね。
そのためにも例えば今、全日本で活躍する有名選手たちを、もっと剣道が行われている世界各地に派遣して指導してもらい、その精神性を広めてもらえると良いのではないかと考えています。
もちろんそれには多額のお金が必要で、そこが課題なんだと思いますが。
まぁ今は、ネットを使ったクラウドファンディングなんかで資金を集めることも可能なので、2014年末で日本の剣道人口177万人とも言われるだけに、今の剣道世界で熱い注目を集める著名人、例えば内村選手、寺本選手、網代選手、竹之内選手、安藤選手、木和田選手、梅ヶ谷選手といった人たちが音頭をとって資金を募れば、派遣費用も1千万円ぐらいすぐに集まるんじゃないでしょうか?
そうしていつか礼節にのっとった大会運営ができれば、まだ剣道をあまり見たことがない人たちも感動を与え、魅了できるぐらいオリンピックも素晴らしいものになると思います。
いつかそんな日がくるといいですね。